
透明人間
Twitterのフォロワーさんとの交流で某掲示板の存在について思い起こされた。
「普通」であれば、あんな所の閲覧など良いことなどないし、見るべきではない。匿名で無責任な誹謗中傷がまかり通る無法地帯だから。
ただ、そこにも書き込む人達が存在する。
まともな感性であれば疎まれ除外される個が、
ともすれば異常で無責任であるが故に生き生きと。
逆説的に「常識的で責任が伴う発言」が嫌だからこそ、そこに書き込むのだろう。
中には、かなりの知性を感じる内容も多くあることは、見たことがある人ならわかると思う。(品性は全くない)
「建前と本音」は社会に生きる者の感性として当たり前にインストールされているので、日々のSNS生活では意識されることは少ないかもしれないが、彼らの生々しいパトスに触れると「言いたいことはわかる」こともある。
全てが雑音と切り捨てられない、人間の「業」を見せつけられるのだ。
SNSプラットフォームは凄惨な戦いの末、その機能もユーザーリテラシーも向上した。基本的には見たいものだけを抽出してその世界に浸ることができる。
※広義では相変わらずの地獄である。
もちろん、誹謗中傷は厳しく取り締まらなければならないことは周知の事実だ。
けれど意図的に探さなければ見えない場所の奥地で、なんらかの叫びを訴える見えない「誰か」を排斥する世の中はあまりにも窮屈ではなかろうか。
そこが彼らに残された最後の場所であるならば。