日常 / 未来志向

日常を取り戻すのではなく、今生きている毎日が日常である。

コロナ禍によって「失われた社会」をどのように生きて行くのか。

個人それぞれが健康を守り考え行動する。シンプルな「生命力」をかえりみる機会ではないでしょうか。

SNSでは声の大きな人が不安を煽る書き込みがありますが、読んでみると自身には何も「代替案(ビジョン)」を持っていない人が多く居ます。

ダイバーシティ(多様性)が尊重されるべき世の中と言われるようになりましたが、自由な意見を発信し簡単に共有できる環境の中で「自分自身を規定できない人」が炙り出されている気がします。

「ビジョン」は個々の侵されざる聖域です。他人から与えられる物ではなく自身で創り上げて獲得しなければなりません。

権威に対する批判も読み解くと「こうして欲しい」だけで「私はこうする」という主体性が見当たらないものが多くあります。

日々生きるのに精一杯で、政治や経済、学術的な事柄について考える余裕がないというのであれば「自身の影響の及ぶ範囲に注力する」のが自然な流れです。

権威に対する物言いで「自己の立ち位置」を錯覚させて「発信した事・読んでもらった事」の自己満足に溜飲を下げるのがせいぜい得られる効果でしょう。

SNSというある意味「気軽」なコミュニケーションツールにそれだけの言説を求めるのはナンセンスかも知れませんが、不特定多数が意図せずタイムラインにアップされる事実を「無駄に声の大きな人」は鋭敏に捉えて利用しています。

今、考えるのはシンプルに「現実に立ち返る」でしょう。

自分の「できる事・やるべき事」を洗い出し整理して取り組む。SNSでの肥大化した自我から脱却しなければ心の平穏は訪れません。

可逆性という淡い期待に抵抗しなければならない。

進んだ時間は戻りません。変化している社会構造を「以前と同じ形」に望むのは「退行」と表現しなければならないほど、静かに、しかしドラスティックに世の中が変わっています。

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