日常

当たり前に使っている「言葉」という機能

何かを伝える。新しい知識のため学んで理解する。言葉で。

古来より多くの人が「言葉」の重要性を伝えており、日々生活している上で些細な行動の中に意思疎通できることの便利さ、有り難さ、楽しさを改めて感じています。

「読み書きソロバン」とは言いますが、数字を読み解き課題を理解するためにも今自分が使っている言葉で考えています。無意識にとても高度な活動を行なっている事を感じました。だから体を動かさなくても疲れるんですよね。

SNSでのコミュニケーションが当たり前の時代に生きている私たちは、意識・無意識に関わらず常に「社会に向かって何かを伝える」ことをしており、その責任も「イイね」や「炎上に対するリテラシー」で感じているのではないでしょうか。

優しい言葉、厳しい言葉、曖昧な言葉、正確な言葉

気持ちを伝えたり事実を伝えたり、用途も方法も無限ですが「自分がどのように使うのか」に自身の在り方が投影されます。

話したり書いたり、当たり前に使っている「言葉」をこれからも大切にしなければと気持ちを新たにしました。

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